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音響対称性 と 停止条件(3)

「一瞬よ、止まれ、汝は斯くも美しい!」

                  ゲーテ  「ファウスト」より



怒りの表情、悲しみの表情、幸福感に満たされた表情、示唆にふける表情、
無意識に現れる人の表情やしぐさは、口ほどにその人の内面を表すものです。

表情は筋肉の動きの結果ですが、皮膚膜の緊張状態の変化と見れば、これは、精神の状態がフォノグラムの図形パターンと対応するのは不思議なことではありません。

3(手のひらのフォノグラム、これで身体のどこがフォノグラム的に問題かが割り出せます。手のひらの情報は、全身のミニチュア情報です。)

8(うまく調整するとこのように、労宮というツボを中心に同心円パターンに落ち着きます。いわゆる気が通っている状態になります。)


この対応関係を調べると、精神とフォノグラムの対応関係はまるで
コンピュータープログラムの命令に忠実に従うマシンのように
とても精密に作動することがわかります。

ですから、皮膚膜の緊張状態が、これこれ云々の状態にあるとし、それに対応するフォノグラムがこれこれ云々の状態にあったとします。

フォノグラムの状態(皮膚膜の緊張度のギャップ)を手順に従って機械的に調整するだけで
その人の精神状態を簡単に変更することができます。

まるで、皮膚膜の緊張状態が「自我意識」を決定しているかのように感じるほどですし、実際私はそうだと思っています。

*実際には皮膚膜だけでなく、皮膚内部の身体全体の緊張状態が均一化されます。
これは、ちょうどコンピューターにハードディスクにあるプログラムをイレースする作業に似ています。無意味化する。*

「自我意識」という一見とても強固に感じるモノは、実は、簡単に変更し書き換えてしまうことのできるプログラムのようなものなのです。

(プログラムを変更してもすぐに戻ってしまうことは明記しておきます。絶対に変更できないことと、変更するのは簡単にできるがすぐに元に戻ってしまうことは全然違うということをここでは強調したいのです。)


皮膚膜の緊張状態の乱れが 精神状態、意識状態に対応しているとしたら(実際しているのですが)、もしも、すべての皮膚膜が理想等音面になったとしたらどうなってしまうのでしょうか?

皮膚膜の緊張状態の違いが、意識や精神状態に対応しているということは、
皮膚膜の緊張状態がの違いがなくなった状態では、意識やそれに対応した精神状態は
存在するのでしょうか?

これは、ちょうど、共鳴版が等音面になるとき、音響対称性が最も高くなり、またその時、音を聞いて削るという操作が停止します。
音響対称性の極限が、操作の停止条件になります。

人間の身体においても同じですが、音響対称性が最大の時、一体何が停止するというのでしょうか?

ここから先は、日常言語で説明することができません。(禅が扱っている世界像。)
なぜなら、日常言語は意識活動の結果であるので、これは、停止していない状態で停止した状態を語ることになってしまうからです。
つまり嘘になるということです。

強いて言うならば、意識を有したまま睡眠状態にいる状態、
もしくは、活動しながら眠っている状態と言えるかもしれません。

人は、誰でも睡眠中は、丹田に気が集中しています。
四肢が脱力した結果であるとも言えます。

東洋医学の治療の目的は、この状態を人工的に誘発して「本当の意味で寝かす」
ことによって患者を治すのです。
なにか不思議な術で治るのではなく、うまく寝かすことによって、睡眠によって本人に回復させるのです。

仏像などで表現しようとしている表情はまさにその状態を表そうとしたものなのです。
その表情は無表情どころか、すべての意識状態、感情などがいわば統合された状態なのです。

この時、思考、感情、自我意識などは脳の活動が作り出した幻影に過ぎないことがわかります。

意識現象とは、まるで静止することのできないコンピュータのようです。
無限に続く終わりのない計算をしているコンピューターです。

kio.jpg


皮膚膜の音響対称性が最大の時、思考という無限に続く計算プログラムは
停止します。

思考が停止したところで心は存在し続けています。
我々の実在とはなんでしょうか?

だいぶ観念論的になってきてしまいました。
どうしようかな、、。




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