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主観と客観について

  • Day:2012.05.03 22:52
  • Cat:雑感
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スペインの宗教裁判  異端審問会議


主観的という言葉は、たいてい独りよがり、客観性にかけるというように
あまりいい意味で使われることがありません。
それでは、客観性が担保されていればそれは真実といえるのでしょうか?

客観性が保障されたものだけを真実としてしまうと、非常に世界が限定されたものになってしまいます。
なにせ 我々には「こころ」があるのですから。
だれも「こころ」というものを否定しませんが、客観的にその存在を示せといわれても誰もできません。
ですから、客観性が担保されていなくても真実ということはありえるのです。
むしろ、真実に客観性を持たせる努力をする事が「科学」の役目であるはずです。

私は、フォノグラムの研究を通じて、ある面白いことに気がつきました。
それは、ホワイトノイズを造っていく操作に限定する限り、客観的な量概念で構成していく操作の結果と
主観的な協和、不協和という生理的反応を基にした操作の結果は同じ結果をもたらすということです。

これはとても驚くべきことのように思います。

主観的であろうが客観的であろうが同じ結果になる

これは、新しい科学の方向を示したことになるでしょうか?

少なくとも従来の科学ではありえない発想のように思えます。
まだ厳密に証明したわけではありませんが、できると考えています。

あまり好きな区分けではありませんが、右脳と左脳という区分けがあります。
科学的記述は左脳型であるといっても反論する人はいないと思います。
右脳領域のことは芸術が担当するのですが、
右脳型の科学というものはありえるでしょうか?

魔法、東洋神秘思想、気功、フォノグラム?

もしも、厳密に証明できたのなら、科学が魔法を補償したことになります。
(これができなければ敗北ということになります。)

フォノグラムは新しい科学の方法になりえるでしょうか?
それともフリンジで終わってしまうでしょうか?

私には、明らかな真実です。


火あぶり覚悟で「それでも地球は回っている」といった人の気持ちが解ります。
私にはこの仕事をやり遂げる能力が備わっていると信じています。



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