FC2ブログ

フォノグラムは機械では計測できないのでは?

古代ギリシャにおいて、ピュタゴラスが周波数の比率の単純な音は協和することを発見したとされるが、17世紀に倍音が発見されると、19世紀にはヘルムホルツが、共通の倍音を含む音は人間の耳に協和して感じられることを発見した。周波数の比率の単純な音はそれだけ共通した倍音も多く、ピュタゴラスの主張を科学的に裏付けたといえる。例えば、純正な音程の場合、周波数の比率は、オクターヴが1:2、完全5度は2:3、完全4度は3:4、長3度は4:5、短3度は5:6となり、長3和音は4:5:6、短3和音は10:12:15となる。(ウィキより)

協和、不協和について再考してみます。

ピタゴラスや、その後の科学者は、振動数の単純な整数比が協和関係になることと考えたようですが、
この振動数の単純な整数比を協和の定義としてよいのでしょうか?

協和、不協和というのは、人間の生理感覚に基づいているものであり、
「振動数の単純な整数比」のような観念に基づいているものではないということです。

もし、観念的に協和、不協和というものが定義できるのなら、
音楽を理解するコンピューターというものも作れるかもしれません。
そして、もしそれが可能ならば、協和と不協和というものを計測する事が出来るということです。

「協和度を人間の生理反応以外で客観的に計測する事が出来るか?」

私はこれは無理だと考えています。
協和度と人間の生理反応の関係を別にして考えることはできません。

そうなれば「音楽」ではなくなるからです。

こと「協和、不協和」の問題に関してだけは、人間の生命体だけがセンサーの役割を果たします。

なぜこんなことを考えるのか?

それは、フォノグラムが人間の生理反応を利用して描いているものであり、
客観的に計測することが出来ないのは、この協和、不協和という問題が客観的に計測できないことと
同じではないかと考えるからです。

補足:フォノグラムのラインはタッピングトーンの協和のピークと不協和のピークを生体が感じ取って
   マーキングしたものだからです。次回このことに触れたいと思います。

*主張したい事は、あくまで、協和関係というのは人間の生理反応が先にあり、観念的な定義や説明は
 後から出来たということです。*

これは、音楽という学問的体型が出来上がる前の、
音楽がなぜ成立するのか?ということを問題にしています。

人間の生理反応(快、不快)がその大元です。

フォノグラムは、音楽以前のものなのでしょうか?

われわれはメタムジカ(超音楽)というものを考えているのかもしれません。

fono.jpg



*これが、今のところフォノグラムを客観的に計測できない、有力ないい訳です。
 それが出来なければ科学とは認められないでしょうが、
 それが出来ない理由は説明できそうです。
 フォノグラムは音楽や数学と同じぐらいの実在性しかないようです。
 「心の中にしかない」という意味です。*・

はじめての方へ *本ブログの内容説明



にほんブログ村 科学ブログへ
にほんブログ村
クリック お願いします



スポンサーサイト

Comment

音楽って単純に聴いて気持ちいいか気持ちよくないかってことですもんね。
なんかこうしてよく考えると驚くべきことだなと思いました。古代から今までそれがずっと続いていて、たくさんの人がそのこと(気持ち良いかどうか)に対して真剣に取り組んでいるって。
  • 2012/04/15 23:21
  • つちてる
  • URL
Comment Form
公開設定

Trackback


→ この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。