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時の形

  • Day:2012.04.03 14:10
  • Cat:雑感
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翼を広げる鳥や てんとう虫をみて 左右対称だと思う人はいても
蛇を見て 左右対称 だなんて思う人はあまりいません

前者は 二次元に広がりがありますが
後者は 一次元に近いです


人間の身体は 大体左右対称です
それなのに
人間の内臓がなぜ対称でないのか
疑問に思ったことはありませんか?

私の考えでは 内臓というのは
口から始まって 肛門で終わる
一次元の働きだからだと思うのです
まるで 食料をベルトコンベアーで順番に各臓器に送り
処理していく

始まりがあって終わりがある

時の形とは空間的には非対称なことがむしろ自然なのかもしれません

科学にしろ 芸術にしろ ほとんどが人間の視覚情報を
拡張させる方向で発展してきたと思われます
聴覚情報や 触覚情報をもとに 物指しを作り 計測をしていく方向には
あまり進んできませんでした
視覚情報は 同時的 空間的な情報であり
触覚や聴覚情報は 時間的な情報です
聴覚や触覚の情報から構成された物指しは
視覚情報から構成された物指しと
最終的に一致するか?

東洋医学の経絡図を見ると
左右対称に線が描かれています
そして 各経絡には 内臓の名前がつけられています
なぜ 内臓は非対称なのに 経絡は対称なのでしょうか?

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あるがままに

  • Day:2012.04.04 19:03
  • Cat:雑感
医というものに真剣に向き合いますと、いつも悩まされます。

それは、

「治すとはどういうことをいうのか? 」

ということです。

たいていの病気は、本人が好きでなっています。
また、病気がアイデンティティーになっています。
ですから、病気を治すということは、
相手のアイデンティティーを否定することと同じことになってしまいます。
病気を治すという発想そのものが至極 傲慢な考えであるわけです。

また、病気に表れる症状、それに付けた病名は「果」であり「因」ではありません。
いくら症状を消した所ですぐに再発するでしょう。

ここで「因」とは、今までの生活習慣であったり、自己の不自然な考え方であったり、
また自分では気付かずに撒いてしっまた不調和の種(カルマ)であったり、いろいろです。


『熟すまで刈り取ってはいけない』


病気というのはその人の子供のようなものです。
病気であることから学ぶこと、そうであるがゆえに出来る人の「縁」からの学びや気づき、
ようは、こういったことの中から、「因」を解消していくのが本当の治癒につながります。
ですから、

死にかけさえすれば、治るものなのです

これに余計な手を出すことが治療なのかもしれません。

しかし、人が悲しそうな顔や苦しそうな顔をしていると、
ついつい何とかしてあげたくなるのが心情です。
余計なお世話をしたくなります。

救っても地獄落ち、放っておいても地獄落ち

という状況にいつも悩みます。

また、自分がそう思ったところで出来ることは限られているし、結局のところ
何かが出来るわけでもなく、一緒にオロオロするぐらいかもしれません。
そして、その人が抱えている問題を解決することが
その人にとって本当に善い事になるとも限りません。

その人の苦悩や苦労は、その人の大事な宝物でもあるわけです。

これを奪ってはいけません。

よい事も悪いことも受け取って「あるがまま」を認めること

これが最も早く解決に至る道なのだと思います。

なにも出来ないなら出来ないなりに「思いやり」だけはいつも持っていたいものです。

*かくゆう私も大変です。(笑)*


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無意識の解決にゆだねる

  • Day:2012.04.06 18:05
  • Cat:雑感
人は、困難に遭遇しますと
不運だ 不幸だ
と感じてしまうものです。

人によってはそれの何が困難?
と思うことさえあります。

そもそも困難とはなんでしょうか?

それは意識的に処理できない問題に遭遇すること
だと思います。頭でどう考えても答えが出ず、ドン詰まりに陥ることです。

新しい発想の仕方、新しいものの捉え方を育てる必要がある

ということです。

この時、働いてくれるのが無意識の反応です。

無意識は言葉や思考を持っていませんが
意識よりも遥かに難しい情報処理をやってのけます。

傍目には苦しみ、悩んでフリーズしているだけのように写りますが
本人の内部では、新しい発想の回路が構築されようとしているのです。

これは、それまでの限定された自分を壊し、再構築しなおす契機になります。

人生とは、つまるところ、これの連続です。

苦難がない人生は幸福でしょうか?

いずれにせよ 困難に遭遇しなければ、無意識の発動は起きにくいということです。

不利な状況にあえて身を置くことにより、無意識の発動を意図的に誘発し、
創造する力に代えてしまう。

これが、今まで自分がとってきた研究を進める上での戦略です。
これは、生命が進化発展するための戦略そのものです。

困難な時こそ無意識(神)に委ねることができれば
必ず解決に至ります。

生きていさえすればよいのです。


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