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光の表現の歴史的変遷 ~黒体3~

黒体(太陽)の光と、ホワイトノイズ共鳴版の音のスペクトル分布を比較して
その類似性から何が見えてくるかを話題にしてきました。

音で太陽のスペクトル分布を真似れば、それはホワイトノイズになるということを見てきました。
また、いままで、フォノグラム(音図)による楽器制作と、人体の皮膚膜上の張力ギャップの補正が
対応していることも見てきました。

楽器制作で施したことを人体の皮膚膜にも適用してみようということです。

黒体2では

音で太陽を造る

という表題を付けましたが、今回は”人体で太陽を模してみる”とでも表現できるのでしょうか?

全ての皮膚膜状の音を揃える。
そのときフォノグラムの渦は一つにまとまる。
共鳴版ではそれはホワイトノイズになり
太陽の光のスペクトル分布と同じになる

のではないかと考えてきました。

実際に人体のフォノグラムを調整していくと、丹田だけに不動点がある状態になりますし
精神的には非常に穏やかで 明晰になります。
これは内部感覚なので共有することも、確認することもできないものです。
外から見たらどんな感じでしょうか。
そういった状態を、昔の宗教画が表わしていたようです。

2010011420521897c.jpg
アンドレイ・ルブリョフ 「至聖三者(三位一体)」 1410年頃

人体のフォノグラムを調整していきますと、丹田だけに不動点が出来る状態になりますが、
宗教画や仏像の後光はむしろ 胸を中心に光り輝いているように見えます。

肉体(陰)の不動点が肉体の丹田位置にあり、霊体(陽)の不動点が肉体の胸の位置に来る
のでしょうか?
肉体は重力の影響を受ける構造になっていますので中心が丹田位置にあり、
見た目は肉体と同じである霊体は、重力の影響は受けませんから その中心が胸の位置に来るのでしょうか?
はっきりしたことはわかりませんが、昔の絵画や美術品にその痕跡が見られます。
彼らは、空想を書いていたのではなく、何らかの事実をそのまま書き表そうとしたのでしょう。

ルネッサンス以降、科学合理主義の芽生えとともに、このような表現は非合理な表現とされてきました。光というものを五感の外でしか感知し得ないものとして扱い、その忠実な表現に移行していきました。射影幾何学のような数学が生み出されたことはそのような背景があったからです。

vermeer23.jpg
(光の画家 フェルメール 射影幾何学に忠実な光の表現)

われわれは科学文明の発達の極点にいますが、何かを見落としてきてしまったようです。
それを、拾いつむぐことができるでしょうか?

フォノグラムの研究はそれを可能にするでしょうか?

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心と体
楽器制作と東洋医学の接点


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標準寸法は削り足りない状態?

たいていの楽器製作者は、有名な作家の型を真似ます。
そうでないと売れないという事情もあるようです。
私は初めから、楽器制作よりもむしろ「音が造る形」の多様さのほうに
興味が惹かれてしまいました。

(フォノグラムの造るデザインなども、今年はテーマにしたいと思います。
もっと自由になって、フォノグラムのオブジェみたいなものも造ろうかと思っています。
この話は置いといて、、、。)

しかし、今回はヴァイオリンを彫ります。ガルネリモデルを採用しました。
たいてい、以下のような型紙が存在します。
g0.jpg

これを木材に綺麗に転写します。

g4.jpg

木材それぞれの、「音の」初期状態が違いますから、正確に転写してもあまり意味はないですが
標準寸法というからには、そのフォノグラムをとっても
ある近傍(フォノグラムの意味で近い所にあるという意味)に収まるようです。

g6.jpg
(ノコギリで近くまで切る)

g7.jpg
(赤線が標準寸法とされる位置)

まだヤスリを使うのは早い段階ですが、この辺から 刃物の削る音に注意しながら削っていきます。
音さえ聞いていれば、絶対に赤線かかることはありません。

g8.jpg
(刃物で凹凸を落とした状態)

ここから、音を聞きながらの世界に入っていきます。
1.0mm以下で起こる話が、フォノグラムの話です。
1.0mm以下の世界を、顕微鏡で拡大したような世界がフォノグラムで捉えられると考えてください。
フォノグラムは、いわば「音で見る顕微鏡」です

g2.jpg

フォノグラムでフォルマントの[a]の音列が出たところで止めてあります。
ちょうど標準寸法のラインにかぶる所です。

(フォルマントの話はまだしていませんので、ここでは適当に流してください。)

g1wakufa.jpg


ようは、標準寸法では、フォノグラムの目指している音列の初期の段階しか出ていないということです。
簡単に言ってしまうと、「熟してない音」という感じです。

標準寸法が「音が熟していない状態」にしてあるのはなぜか?

1 木材の経年変化を考慮して

2 ただ単にそこら辺で止めた

ここからは憶測です。よく楽器製作者が「未来を見据えた音造り」というようなことを言います。
これは、経年変化を考慮して、標準寸法より少し厚めに造るということです。
しかし、フォノグラムで考えると、標準寸法でも厚すぎるのです。

パイン修正材で彫った場合、木材自体の樹脂成分が多いため、
かなり薄くしないと目標の音に行きません。いつもやりすぎたかと思うのですが、それでも足りないぐらいです。

経年変化が完了してスポンジ状になった木材でフォノグラムを採っていけば、もっと厚い状態で、目標の音までいけるはずです。

300年前の人は、300年後そうなるように創っていたのでしょうか?
普通に考えて、無理だという気がします。

しかも、経年変化する前の木材で音を進めてしまうと、構造上痩せてしまいますから、相当削りムラがない状態の楽器でないと300年持ちません。
経年変化で音が進む前に壊れてしまいます。

名器が名器たる所以はこの辺に秘密があるのでしょう。

経年変化が完了した木材で、フォノグラムの音列を極限まで進めれば
名器と同じものを再現できるはずです。(たぶん)

標準寸法は「音が造る形」としてはまだ「熟していない」というお話でした。

g3.jpg


今は、極限まで音列を進めてみます。


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腹(丹田)で聞く音


違和感の基準

「違和感」という言葉があります。

たいていなんとなく感じるもので
それ以上気にしません。

「違和感」を感じる以上、 そこには何らかの基準があるはずです。

その基準は人それぞれ違うものでしょうか?

たとえば、 焼き鳥屋のちょうちんが青いちょうちんだったら
すべての人が「違和感」を感じると思います。

これは学習によって後天的に学んだ結果なのでしょうか?
それとも先天的に、本能的にもって生まれた感覚なのでしょうか?

ある心理学の本によると、ちょうちんが赤いのは、食欲を刺激する
作用があるからだという説明がされていました。

本当のところ「違和感」の基準はどこにあるのでしょうか?

もう一つ例をあげます。
音楽をしている人なら、必ずやることの一つに
音階練習があります。
単純な繰り返しで、基礎的で面白くないと感じてしまうものです。

はじめ 意味もわからずにやっていましたが これの本当の意味は
「違和感」に対する鋭敏さを養うことにあるのです。
「音が外れた」という感覚は「音が外れていない」感覚があって初めてわかる感覚です。
この感覚が養われてくると 少しでも「音が外れると」不快に感じてしまいます。
そしてこの感覚が、演奏技術を上げる契機になるわけです。

この「音が外れる」という感覚も 何かの基準からの「違和感」です。
この音の協和 不協和という感覚は 物理学では説明できないようです。

「違和感」の基準はどこからやってくるのでしょうか?

少なくともはっきりとした基準が先にあるわけではないようです。
人生とは「違和感」の連続なのかもしれません。

そして「違和感」を通じて「基準」:「神」を捜し求めているのかもしれません。

というよりも、「無意識」からの遊離が「違和感」の正体でしょうか?


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(ロダン 考える人)