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共鳴現象の非可換性について (3)

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 (人間は考える葦である ;パスカル)

*話がだんだん抽象的になってきました、適当に読んでください*

前回、共鳴現象の可換性と非可換性の違いを明確にすることが
フォノグラムの理解の鍵になる、ということをお話しました。

また、音楽と人間の生理機能の関係を見てきました。なにか、当たり前なことを難しく
説明しているだけのように感じる方もいると思います。
しかし、フォノグラムという現象を理解する上で、最も心理的障壁となっていたのが
この共鳴現象の非可換性でした。わたしは十年ぐらい整理できないでいました。
ですので、ここでは明確に区別することが必要で、
なぜフォノグラムが物理や音響学で扱えないのかをはっきりさせることになります。

それでは 引きつづき、②の場合をフォノグラム楽器製作法を例にしながら話を進めていきたいと思います。

g11.jpg


板の中心の部分を叩いて、その音をしばらく聞いて、身体に記憶させます。
このとき、共鳴版と身体は共鳴しています。
共鳴した音(基音)はいわば身体に対して「抵抗ゼロの音」とでも言いましょうか
それは、共鳴により同一ということになります。
そのまま、周囲に向けて、共鳴版の音を叩いていきます。
すると、音が違うのが「体の緊張度の変化」によりすぐに認識できます。
このとき「抵抗ゼロ」からのズレが起こり、ものすごい抵抗感として体に伝わります。
いわゆる違和感です。共鳴状態から突然、不協和の領域の中に入ってしまったように感じます。
その抵抗を感じる所をプロットしたものが、フォノグラムです。

まさに、音楽そのものです。共鳴している基音はフォノグラムでは「円」や「直線」のパターンで現れます。そこから外れた音は「渦」や「波線」や「団子」のパターンで現れます。
これは観測事実です。(といってもフォノグラムを正確に取れるのは今の所私を含めて二人だけですが、二人いれば3人目も期待できますし、少なくとも科学は二人からです。)

また、音楽では協和している音群どうしが、協和するとは限らないということは周知の事実です。
CメジャーコードとC#メジャーコードを同時にかき鳴らして見たら解ります。
不協和成分が入り込んでくるのがわかるでしょう。
つまり、協和 不協和は相対的な問題なのです。

ですから、「渦」や「波線」、「団子」のあるパターンの部分の音に共鳴すれば、今度は「円」や「直線」パターンだったところが「渦」や「破線」のパターンになってしまいます。(共鳴現象の相対性)

このフォノグラムによる楽器制作の過程を記号で表して見ましょう。


上のフォノグラムにおいて

   A:中心の音に同期(基音に共鳴する)する
   B:周辺の音に同期する

これは明らかに、

   A*B¬=B*A

になります。 これがフォノグラムに現れています。

フォノグラムの音をあわせるという意味はこのA、Bの操作を

   A*B=B*A

にすることです。

g12.jpg


つまりは可換な操作になるように、音を作っていくのです。
全ての音に対してこれを行います。
前回、和音は可換だということを言いました。
全ての音を含むような和音をつくれば、どの音を基本音にしても、可換な操作になるはずです。
それはホワイトノイズです
。(その時、全ての音に対して、共鳴して掘り進むという操作が可換になるため、操作は終了します。)これがフォノグラムの図形が対称になっていく理由です。
つまり、音図をとるという操作がどの音にたいしても「抵抗ゼロ」の状態になるからです。

「渦」や「波」のパターンは異質の秩序の境界に生まれます(不協和領域)。

fig1_20120120213320.jpg


つまり、

   Ⅰ フォノグラムの「渦」がなくなる

   Ⅱ 共鳴版のどの位置の、どの音を基音にしても「直線」と「円」のパターンになる

   Ⅲ 共鳴版の音響特性はホワイトノイズである

という言明は同値な意味を持ちます。

フォノグラムという現象は、とかく能力に依存した面があるので、私は論理的に同値であるものを探すために、このような考察をする必要があったのです。
フォノグラムの実在性を、それが見えない人にも、説得力のあるような説明ができる可能性を探していました。

私はⅢの主張がポイントだと思うのです。

g32.jpg


音列は無限に出てきます。操作は無限系列になっていきます

A*B*C*D*E*F*G*H*I

A,B同様 C~Hも:ある音に同期する

という意味です。これが全ての組み合わせ、全ての並び替えで可換になる状態が
フォノグラムのパターンが曼荼羅のようになる時であり、音響特性がホワイトノイズになる時です


ここまでくると、おぼろげながらにどのような数学を使えばいいのか見えてきます。
また、どういう方向で研究していったらいいのかが見えてきます。
既成の数学がここまでくると使えるようになるのです。

*関連のありそうな数学の分野だけでも、抑えようとしたらかなりの範囲になってしまいます。こつこつやるしかありません。ちなみに、自分のほとんどの研究時間は数学に当てられています*

単に、形式的に、当てはめているだけではないことに注意してください。
上のような考察があって、初めて形式的な研究に入ることができるのです。

つづく


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自分で考えることの大切さ

  • Day:2012.01.21 21:40
  • Cat:雑感
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わたしは いわゆる ベビーブーマーです
受験 就職など ひたすら周囲と競争しなければならない世代です
意味も解らずに 競争に勝ちさえすれば良いので
物事の本質を考えるタイプの人間は育ちません

わたしは 幸か不幸か 自分の頭で考えることだけを追求し
また それを育ててくれる環境に身をおくことが出来ました
そして 今も それを失うことなく(なんとか)生きています 笑

それは 友人や先生がよかったからだと思います

正直なところ
学校には属してはいましたが
学校で何かを学んだということはありません
学問的なことですらです

わたしが先生から教えられた ただ一つのことは

「自分の頭で考えろ」

ということだけでした


# 懐かしい先生との思い出 # 


*わたしが一人黒板の前に立たされています
 数学の証明をしなければなりません

先生;「さあ 始めなさい」

僕:「はい  わかりました」

*このとき 何も解らずに 黒板に一行すら書くことが出来ません

一時間経過

二時間経過

三時間経過

僕;「、、、、、、、、、」

先生;「少し進んだね また来週」  

*黒板には何も書かれていません



こんなことが 何週間も続くこともありました

その時は 「何で教えてくれないんだろう?」

と思っていましたが

自分で解けたときに全てがわかりました

わざと 言わなかったんだと

どんなに時間がかかっても どんなに稚拙な進歩でも
自分の内側から引っ張り出してこなければ
「それ」を「経験」することは出来ないのです

知識はすぐに忘れます
情報化社会の発達した現代において
何かを知っていることは
あまり重要ではありません
その時 調べればいいのですから

大切なのは 
自分自身の頭で考え
自分自身の体で感じることです

どんなに幼稚でも
そこにこそ価値があります

この世界(不思議の国)は 万人に平等に開かれています
自立した 裸の個人として 世界に対峙したいものです

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共鳴現象の非可換性について (4)

共鳴現象を3種類に分けて考察してきました。
最後に

③ 「ヒト(生命体)」と「ヒト(生命体)」の場合

の共鳴現象を見ていきましょう。
③は東洋医学の鍼灸理論などの経絡現象にあたります。


われわれは、確たる人格をもった一個人として生きていると思っています。
しかし、われわれは、「部屋で一人のときの顔」、「恋人といる時の顔」、「仕事をしているときの顔」
また「集団の時に見せる顔」、「二人でいるときの顔」、「三人でいるときの顔」、いろいろな顔を
無意識に演じています。


相手を意識した瞬間に、身体のフォノグラムは変化します。ですから、人格というものは、相手があって初めて、「固定される」ようなものです。
相手は、いつもコロコロ変わります。その相手のフォノグラムは常に違いますから、
ある相手と「同期(共鳴)」するということは、その相手と自分が同じフォノグラムを共有するということになります。
ですから、他人を否定しても仕方がないという結論になってしまうのです。
確たる自己なんてものは幻に過ぎないことがわかります。
これが「人間社会」のおもしろいところです。(フォノグラムは個人では閉じない!)

さて、ここでも共鳴現象の非可換性を見て行きたいと思います。

      A:恋人に会う (弛緩)
      B:仕事に行く (緊張)

とします。これはもちろん非可換で

      A*B¬=B*A

です。
(簡単に言ってしまうと)弛緩した後に緊張するのと、
緊張した後に弛緩するのとでは意味がまったく違ってくるということです。
これがもし可換だったら、人生は味気ない気がします。

これもフォノグラムに現れます。

 恋人に共鳴した状態のフォノグラム

きっとこれは、綺麗なフォノグラムが採れるでしょう。
二人でいるときのほうが一人でいるときよりもフォノグラムが整うからです。
でなければ、恋人とはいえません。

次に

 仕事などで、責任が伴う状況での人間関係に共鳴した状態のフォノグラム

きっとこれは、外に意識を向けなければなりませんから、緊張状態にあると思います。
「嫌だな」と思うこともあるでしょうから、ここではフォノグラムが乱れます。
(そうでないことも、もちろんあります。あくまで、たとえ話です。)

やはり、この場合も結果が「共鳴」した順番に依存してしまいます。

すばらしい人間性とはなにか?
これは、楽器と人の共鳴で「ホワイトノイズ」が共鳴の順序によらない、高い対称性を持った状態であることと同じように考えることができます。

つまり、どんな人間に、どんな順番で、どれだけ多くの人と出会っても、
「影響を受けない状態の人」、「フォノグラムが常に乱れない人」だと考えられます。
神道では、「鏡」でたとえられる状態です。

身体のフォノグラムの調整において、目指す状態はこの状態ですが、「鏡」を磨くことができるのは「他人からのストレス」だけです。だからストレスはあっていいのです。

また、平田式熱心療法のところでも見ましたように、経穴などの治療点も「患者」と「施術者」の
共鳴により浮き上がるものです。
もちろん、施術者のほうが「より多くに共鳴できる状態」です。
病人と施術者がまず共鳴することにより、一体になり、(つまり病気をフォノグラムの意味で共有し)
そこから一緒に治っていくということになります。

そして、このことを「思いやりの力」、「仁術」といったのでした。

人それぞれフォノグラムは違います。そこに良いも悪いも本当はありません。
ただ、より対称性の高いフォノグラムの持ち主のほうが「自由」なことは確かでしょう。

何か「人間的に優れたもの」になるためではなく、「本当の自由」を獲得するために
そのような人間になれたらいいなと思います。
その状態が、フォノグラムでは、曼荼羅形象になるのは偶然でしょうか?

楽器と人の共鳴現象において非可換から可換に転じた時
ホワイトノイズができることを見ました。
人と人の共鳴現象が非可換から可換になった時、何が起こるでしょうか?

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