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クラドニ図形とフォノグラムの比較研究 (3)

「なぜ 石の中に 人が埋まっているのを知ってるの?」
出来あがった彫刻を見て 少年がカミーユ(彫刻家)に尋ねる場面 
               映画「カミーユ クローデル」より

彫刻家は 「石の中にすでにあるものを採りだすだけ」
ということを聞いたことがあります

cadana.jpg


石の中に カタチがすでにあるのでしょうか?
それとも 彫刻家のイメージを石の中に”押し付ける”のでしょうか?

そうではなくて 
イメージは 彫刻家と石との””に生まれるのだと思います
その””が実態化したものが作品なのでしょう

フォノグラムは この彫刻家と石との””を
具象化したものに近いかもしれません

*ヴァイオリン制作の場合 この”間”に当たるのが”音を聞いて彫る”
 ことにあたり そのスナップショットがフォノグラムということになります*

IMG_0012.jpg
(子供の描く絵のようにも見えます
子供は 何かの概念を描いているのではなく
描くことによって何かを概念化しているのかもしれません)

それは まだ 完全には実体化されておらず
幾多の可能性を残したままの霞のようなものですが
何かに収束していきます

彫っている主体と 彫られている客体
を中心に議論を進めるのが 通常の議論の進め方ですが

主体と客体の””を中心に話を進めたらどうなるでしょうか?

フォノグラム ”” のほうが先にあり それを利用して彫る行為者(主体)や
それによって出来る楽器(客体)は後に来る様な議論の方法はないでしょうか?

*数学の世界では”圏(カテゴリー)”という概念がありますが 
これに近い感じがします
こういう考え方自体がとても新しい発想のようです 
このような発想は物理学の適応限界を押し広げてくれるものだと思います*

アレイ1


フォノグラムを 既存の物理学や音響学の概念のなかに探すことは出来ません
なぜなら 既存の概念は主客分離が理論の根底にまずあるからです
そういった枠組みには入りきらないのです
かといって そうして出来あがった楽器は 歴然とした物理なわけです

クラドニ図形とフォノグラムの違いは 上述のようなことを踏まえて
考えていかなければなりません


追記* 「人間」も 私とあなたが実態ではなく 私とあなたの”間”が実態だとしたら
    とてもおもしろいと思いました
    「人間」という字はおもしろいですね
     

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生命形態における保存則 (1) 奇跡のりんご

kimurapomme.jpg         
   (木村秋則さんの奇跡のりんご)

木村秋則さんは 無農薬でりんごを栽培することに成功しました
それまで 無農薬でりんごを栽培することは 常識的には不可能とされてきました
農薬に「依存しない強い生命力」をりんごから引き出したわけですが
詳しいことは 木村さんの本「奇跡のりんご」を読んでください お薦めです

この木村さんのりんご 何ヶ月も冷蔵庫に入れっぱなしにしても
腐らずに ドライフルーツのようになるらしいです

普通のりんごはどこかの部分が痛み出し そこから腐っていきます

奇跡のりんごと普通のりんご
この二つの違いをフォノグラムを通して考えてみたいと思います

まず奇跡のりんごのフォノグラム *クリックで拡大します


奇跡のりんご

かなり外まで直線ラインが続いています


きせきのりんご

中心からの放射線は全て描いていませんが ぎっしり詰まっています
同心円も同様にぎっしり詰まっています



次に普通のりんご (といってもかなり新鮮です)

普通のりんご

直線ラインがあまり伸びていません
遠くのほうでは ラインの向きがバラバラになっています

ふつうのりんご

内部にも渦があります
まだ新鮮ですが 腐るとしたらここからだろうという予測がつきます
(一応断っておきますが 普通の新鮮なりんごです)


フォノグラムではこれだけの違いが見られます
普通のりんごのフォノグラムが渦になっているところは 
他のところとは 秩序が違うところです
表面の状態が一様ではないため 部分的に崩壊が始まり
腐るところと新鮮なところに分離してしまいます

それに比べて 奇跡のりんごはどうでしょうか?

このりんごのすごいところは 表面の状態が全て一様のため
一様に劣化することが出来ます
全ての部分が一様に同じスピードで歳を取っていくことが出来るのです

全てが一様に同じスピードで歳を取っていけば腐らずに
ドライフルーツのようになるわけです
逆に 場所によって劣化のスピードにムラがあれば
それは腐ってしまいます しかも急激な速度で

「生命力の秘密」は どうもこの辺にありそうです

人間の身体は ある部分だけを筋トレしても
ある限界以上には発達することが出来ません
全体とのバランスをとろうとする無意識の働きがあるからです
この身体の 局部と全体のバランスをとる能力 が人間に備えられていなかったら
どうなるでしょうか?
上のりんごの例のように 状態が一様でない場合
全体としての「生命力」は落ちてしまうでしょう

人体は無意識に ”何か”のバランスが一定になるように
調整しているかのようです
その”何か”のバランスをとるための結果として
怪我や病気があるとしたら それは「生命力」を養うために
必要不可欠な正常な反応ということになります

ここにある種の保存則のようなものが生命体に働いているのが見てとれます
このある種の「保存則」が 俗に言う 「自然治癒力」ではないかと思うのです


「音の対称性」と「生命形態の保存則」が今回のメインテーマです


つづく

関連記事 生命力



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生命形態における保存則 (2) 皮膚膜の役割

b0051109_864220.jpg

わたしは20歳の時に スポーツによる怪我で
両膝を手術しています
手術後 肉体的な能力はもちろん低下してしまいましたが
それ以上に 「何か」が失われたことに気がついていました
その時は その「何か」が何なのかは解りませんでしたが
それを必死で取り戻そうとしていました

普通は その「何か」は非常にゆっくりと失っていくものなので
気付くことはありません
気がついたら歳を取っていたと思うぐらいのことです

わたしは幸か不幸か 怪我することによって
この「何か」を失ったことを自覚することが出来ました
それは 純真さ 快活さ 粘り強さ のになるようなものだと感じていました

*この「何か」を取り戻すために今まで研究をしてきたのかもしれません
 また 怪我をしたことで このような道に進んだのだと思います*

怪我をしたところの組織は固くなってしまいます
当時のわたしは二十歳でしたので 膝以外の組織は柔軟性もあり
またスポーツで鍛えてもいましたから筋力も十分にありました

膝だけが70歳の老人で残りの全身は二十歳という状態です

人間の身体は 無意識に全身のバランスをとる機能が
備わっているという話をしました

身体は 局部だけがその他の組織と比べて機能低下している
ということを どのように知ることができるのでしょうか?
また どのように他の組織と連絡しあい 
筋力のムラを調整しているのでしょうか?

その情報伝達の担い手は「皮膚膜」です
皮膚は 全身を覆っています
なにか膜のようなものの一点をつねってひねりますと
緊張が周囲に伝わったり たわんだりしていくのが観察されます
膜という構造は 局部にかかったストレスを 全体に伝えるのに適しています

もしも人体に皮膚膜がなかったら
部分にかかったストレスを そこだけで受け止めなければならなくなるでしょう
全体との連絡がとれないために 怪我をした部分は固いままで 怪我をしていない部分は
柔軟なままです 
この状態では すぐにまた怪我をしてしまうでしょうし 
いわゆる「本当の病気」の状態です
(ちなみに がんは がん細胞が 周囲の細胞とは無関係に 無限増殖してしまう状態のことです)

平均をとって全体としての構造をマシな状態にするということが出来ません
(なにか 今の社会情勢をみているようですね)

薄い皮膚膜を一枚かぶせるだけで これを回避することが出来るのです
(人間を創った神様「大自然」はすごいな~)

失ってしまった「何か」とは 痛めた膝によって低下した「全身性の機能」でした
「何か」とは「」だということを理解したのはずっと先のことでした


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つづく


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