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魔法の望遠鏡(3)

12775.jpg

前回は 「極限」の例としてコッホ曲線を考えました

また 「無限」は「時間」と「空間」の境界に現れることも視ました

今回は 別の「極限」の例を見ます

√2=1.
   41421356237309504880168872420969807856967187537694
   80731766797379907324784621070388503875343276415727
   35013846230912297024924836055850737212644121497099
   93583141322266592750559275579995050115278206057147
   01095599716059702745345968620147285174186408891986
   09552329230484308714321450839762603627995251407989
   68725339654633180882964062061525835239505474575028
   77599617298355752203375318570113543746034084988471
   60386899970699004815030544027790316454247823068492
   936918621580578463111596668713、、、、、、、、、


左辺の√2は空間的です objectであり一つの値です

さて右辺はどうでしょう?
これは永遠に続く計算の結果です
計算は √2という概念がこの世に生まれ出た時から続いています
今もです これは時間的です objectではなく計算という行為 運動が描写されているのです

これがイコールで結ばれています
永久に動き続ける「計算行為」をobjectとして扱うわけです

ここで数学は「収束」する「極限値」という概念を持ち込みます

これも「時間的」であり「空間的」である「時空的」概念の例です

つぎに 微分商というものを考えて見ます

dy/dx

というものです

Δx,Δy,Δy/Δxなどは「空間的」です

ここでは詳しくやりませんが(解析概論参究 微分法参)

dy/dx=lim(Δx→0)Δy/Δx

ですから右辺は 永久に続く行為を表わしており「時間的」です

左辺のdy/dxはobjectとして扱われます つまり「空間的」に扱われます これらがイコールで結ばれています

これも「時空的」の例です

「時空的」なものの特長は 無限に続く行為であるはずの「行為」が
いつの間にか「対象」そのものになってしまっていることです

「対象」といっても「空間的」なものとは明らかに違いがあります

関数のテーラー展開もそうです

f(x)=Σax^n

右辺はxのべきを無限に足し合わせる「行為」「代数アルゴリズム」です
左辺は「関数」というobjectです


「解析学では止まっているものは一つもない 
すべてが動いているものを相手にする」
というようなことを 聞いたことがあります

「無限の行為」を「収束」という概念でおさえ
空間的概念として扱えるようにしたのが
「解析学」かもしれません

時空的概念とは 時間と空間が未分離になる境界です

無限の計算をしている行為者がすでに 計算対象の一部に取り込まれてしまっているわけです
この心理的障壁が解析学を難しく感じさせるものであり、
他の数学分野よりも「豊か」な構造を持ちえる所以ではないでしょうか?

951.jpg
(無限に続く行為が ひとつのobjectになってしまう)

魔法の望遠鏡(4)

20070528220029.jpg
                              (十牛図)

主体と客体がはっきりと分離している状態では
時間も空間もはっきりと分離しています
「意識」という「現象」がはっきりした状態です

しかし 魔法の望遠鏡を手に入れるには
時間と空間が未分離な状態でなければなりません

”月全体を視ようとすれば
当然 クレーターの細かいところまで
視ることが出来なくなります


クレーターの細かいところまで見ようとすれば
今度は逆に 全体像を見失います

いつも不思議に思うことの一つに

なぜ両方を満たす視座が人間に与えられていないのか?”

というようなことを考えてきましたが
まさに意識に制約を与えているのは 時間感覚と空間感覚の分離です

むしろ 時間感覚と空間感覚の分離と意識現象は同じことかもしれません

時間感覚は聴覚とともにに現れます
音は時間の中にしか存在しません
時間がなければ音は存在できないのです(わかりますか?)

空間感覚は視覚とともに現れます
光(色)は空間の中にしか存在しません
目を閉じれば世界は消えます(わかりますよね)

つまり 宇宙を観察するということ(物理学)は
「意識」がしっかりと顕在化し
時間感覚と空間感覚が分離しており
視覚と聴覚がはっきりしているということです

(当たり前といえば当たり前です
この当たり前のことに あえてメスを入れています)

魔法の望遠鏡とはなんでしょうか?

空間感覚と時間感覚が未分離な状態の例として
フラクタル望遠鏡を考えました

視覚や聴覚が脳内で未分離な状態
時間感覚や空間感覚が未分離な状態
とは

無意識」のことです

魔法の望遠鏡は 
あるとしたらそこにあります

kongo_mandara.jpg

フォノグラムは「意識」と「無意識」の境界領域で起きる現象です

「無意識は」言葉を持ちません
これを記述するすべはあるでしょうか?

「時間」「空間」「論理(数学)」などの概念を
もういちど洗いざらい考え直さなくてはなりません

これらは「意識」という現象にぴったりと付随しているからです



製作現場の裏側

ブロックの内型への取り付け作業です
生々しい制作風景です
怪我して 入院している患者さんのようにも見えます
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出来上がった 美しい「楽器」を見ていると
なにか 超自然的な業であるかのような印象すら
受けてしまいます

まるで いにしえの大聖堂のように 人々に荘厳さや
畏怖の念を呼び起こします

しかし ひとたび 製作現場の裏側を覗くと
そこには 汗のにおい その汗をぬぐった大量のタオル
おがくずまみれの部屋 のこぎりを引く音 
手にできた無数の切り傷 失敗して廃棄になってしまった残骸の数々

さらには日常生活におけるささいな悩み事から
ありとあらゆる妄念 想念が 工房を支配しています

あまりにも「泥臭い人間的なにおい」に包まれています

トランスフォーマー2


むかし 美しい数学の証明法を 思いついた私は
さっそく 「綺麗にして」先生のところにもって行きました
思ったとおりに誉めていただきました

すると先生は「綺麗になる前のものを見たい」とおっしゃりました
わたしは躊躇しました

なぜなら 「綺麗になる前のもの」は
膨大な計算の跡 途中でくじかれた数々のアイデア
何度も消しゴムで消して磨り減ってしまったペーパー
の束でした 美しくないものの集まりでした

「これにこそ価値がある」「出来上がった完全なものよりも
それまでの苦難の過程 格闘の過程こそ価値がある
それを隠してはいけない

というようなことをおしゃりました

私たちは何をしていようが
日常の人間的な努力をしているにすぎない

ということを教えていただいたような気がします(合掌)