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魔法の望遠鏡(1)

月 全体

月全体を視ようとすれば
当然 クレーターの細かいところまで
視ることが出来なくなります

クレーターの細かいところまで見ようとすれば
今度は逆に 全体像を見失います

いつも不思議に思うことの一つに

なぜ両方を満たす視座が人間に与えられていないのか?

ということです

まるで 神様が人間に与えた制約条件であるかのようです

全体が部分を含み
部分が全体を含む

このような魔法の望遠鏡(顕微鏡)はあるのでしょうか?

何かの全体像を視るというのは
一つ 二つ と数えることが出来る「対象」(Object)になった時です (Countable)

対象の中から時間を剥奪し 空間化してしまう


では対象の中に「時間」があるとはどのようなことをいうのでしょうか

moon05_lme.jpg

月のクレータを視ようと「観察」するということは 月の表面に目を這わすということです
目を這わすには 「時間」がかかります ほんの一瞬でもです

しかし 月の全体を視ている時 目を這わすことはありません
つきを 一つとしてみています
つまり 全体を「同時」に見ているのです

この「同時」概念と「空間」概念は 同じ概念です

わたしはこれを「空間的」といっています

反対に 目を這わすような「時間」が発生する概念を「時間的」といっています

全体像を視ることは 空間的に見ているということであり
このことは「(可換)幾何学」的概念といっても同じことでしょう

また部分を見るということは 時間的に見ているということであり
そこには意識の運動(走査)が常におこります
まるで 止まらないコンピューターのプログラムのようです
時間的に視ているということは「アルゴリズム」的概念(代数的)
といってもいいかもしれません

概念


同じ月を見ているのに 
まったく異なるメカニズムが意識と事象の間で起きています

時間と空間と認知がこのような制約条件を与えているのです
この制約を越えることが出来るでしょうか?
上で「時間的」「空間的」といった概念のほかに
「時空的」という概念はあるのでしょうか?

解析学でいう「極限」概念がそうです

微分」や「フラクタル」もこの「極限」概念が基になっています

「時空的」概念を考える時 必ず「無限」があらわれます


つづく



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魔法の望遠鏡(2)

「無限」について考えています

以下はコッホ曲線というものです 「極限」概念の例です

621pxKoch.png

これはフラクタル図形の典型です

部分は常に全体を含んでいます
全体は部分を含んでいます

どんなに拡大しても
どんなに縮小しても   (無限に)

このような図形が現れます

このコッホ曲線は「時空的」概念です

この図は動いています  「ある極限に無限に近づいている」(時間的)

そして対象でもあります (空間的)

このコッホ曲線が空間的な「対象」になる時
時間的な「動き」はどこに行ってしまうのでしょうか?

それは われわれの内部に「取り込まれて」しまいます

ここに 主体と客体は未分離になってしまうのです

これが「時空的」概念の特徴です

このようなものは 物理学では扱えません
 
なぜなら物理学は 主体と客体が分離した世界
を扱うからです

時間のパラメーターや空間のパラメーターを
当然のように独立にとっているのも
このことに起因していると思われます

主体と客体の境界が薄れていくということは
時間概念と空間概念の分離が薄れていくということ
です  (世界が融解?)

魔法の望遠鏡を覗くことができれば
何が見えるのでしょうか?



「無限」は「時間」と「空間」の境界にいつも立ちはだかります

「無限」は「主体」と「客体」の未分離の境界線上に現れるのです

Drawing20Hands.jpg


魔法の望遠鏡(3)

12775.jpg

前回は 「極限」の例としてコッホ曲線を考えました

また 「無限」は「時間」と「空間」の境界に現れることも視ました

今回は 別の「極限」の例を見ます

√2=1.
   41421356237309504880168872420969807856967187537694
   80731766797379907324784621070388503875343276415727
   35013846230912297024924836055850737212644121497099
   93583141322266592750559275579995050115278206057147
   01095599716059702745345968620147285174186408891986
   09552329230484308714321450839762603627995251407989
   68725339654633180882964062061525835239505474575028
   77599617298355752203375318570113543746034084988471
   60386899970699004815030544027790316454247823068492
   936918621580578463111596668713、、、、、、、、、


左辺の√2は空間的です objectであり一つの値です

さて右辺はどうでしょう?
これは永遠に続く計算の結果です
計算は √2という概念がこの世に生まれ出た時から続いています
今もです これは時間的です objectではなく計算という行為 運動が描写されているのです

これがイコールで結ばれています
永久に動き続ける「計算行為」をobjectとして扱うわけです

ここで数学は「収束」する「極限値」という概念を持ち込みます

これも「時間的」であり「空間的」である「時空的」概念の例です

つぎに 微分商というものを考えて見ます

dy/dx

というものです

Δx,Δy,Δy/Δxなどは「空間的」です

ここでは詳しくやりませんが(解析概論参究 微分法参)

dy/dx=lim(Δx→0)Δy/Δx

ですから右辺は 永久に続く行為を表わしており「時間的」です

左辺のdy/dxはobjectとして扱われます つまり「空間的」に扱われます これらがイコールで結ばれています

これも「時空的」の例です

「時空的」なものの特長は 無限に続く行為であるはずの「行為」が
いつの間にか「対象」そのものになってしまっていることです

「対象」といっても「空間的」なものとは明らかに違いがあります

関数のテーラー展開もそうです

f(x)=Σax^n

右辺はxのべきを無限に足し合わせる「行為」「代数アルゴリズム」です
左辺は「関数」というobjectです


「解析学では止まっているものは一つもない 
すべてが動いているものを相手にする」
というようなことを 聞いたことがあります

「無限の行為」を「収束」という概念でおさえ
空間的概念として扱えるようにしたのが
「解析学」かもしれません

時空的概念とは 時間と空間が未分離になる境界です

無限の計算をしている行為者がすでに 計算対象の一部に取り込まれてしまっているわけです
この心理的障壁が解析学を難しく感じさせるものであり、
他の数学分野よりも「豊か」な構造を持ちえる所以ではないでしょうか?

951.jpg
(無限に続く行為が ひとつのobjectになってしまう)