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柔和な構造(3)

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(ムーニ-マン:みんな昔はガキでした)

よく 「子供」が 2階のベランダからおちても
無傷だったということを聞きます

「大人」だったら間違いなく大怪我をしています

いったい何が違うのでしょうか?

やはり 構造的には弱く 柔らかいにもかかわらず
こちらのほうが結果として 怪我をしません

力めない」分だけ部分にかかったストレス(落下の衝撃)を
全身に散らしてしまうのです
脱力」が自然と出来るためにこのようなことが可能になります

大人はそうはいきません

外力に対してすぐに「力んでしまいます」
結果 カラダが硬直してしまい
部分にかかったストレス(衝撃)をもろに局部的に受けてしまいます
「脱力」反応が出来なくなっているのです

よく 「気功」家は 「赤ちゃんの姿勢から学べ」 と教えられます

全身が「脱力」されていて その結果として「丹田」だけに力点がある状態です

「力み」はフォノグラムでは「渦」で現れます
力の支点が丹田以外にあるとき「意識」はこの状態を
「苦しい」と認識するようです

その状態もまた フォノグラムに現れます

フォノグラムは 丹田にあるべきはずの「力点」がどれだけそこから離れているかを
表わしているともいえます

病名や症状が何であれ
全身に散らばった力の支点を 丹田に集めさえすれば
カラダのほうは楽になっていきます

大人でも 赤ん坊と同じフォノグラムの状態に
カラダをリセットすることが出来れば
肉体(血)を構成することによって失われた
「柔らかさ」(気)を取り戻すことが出来ます

肉体(物質の相)が成長することによって失われてしまった「全身性の機能」
これこそが「気」という概然にふさわしいと思います


いままで 暗に「気」という言葉を避けてきましたが
それは ちまたで使われている「気」の概然に違和感を感じてしまうからです

われわれはフォノグラム(音の図形)の研究を進めることによって
「気」という現象の まったく新しい解釈の枠組みを
生み出そうとしているのかもしれません
fig492.jpg
(生体のフォノグラム)
 
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フォノグラム 物理学からの類推 (1)

現代科学というのは 良くも悪くも記述科学のことを指します。
記述科学とは 言語表現可能な対象のみ扱うこととする立場です。

また理論的に矛盾がなくても、実験的に実証できなければ 客観的実在として認められません。
これが、現代物理学のとる基本姿勢です(実証主義)。

フォノグラムの研究で、一番頭を悩ませるのが、どのように言語で表現し、どのようにして
その実在性を実証するのかということです。

科学というのは、答えを出すこと以前に、多くの人と問題を共有できるようにしなければなりません。
それが一番難しいのですが、これが出来なければ、フォノグラムという現象はこの世に存在しないに等しいわけです。

ある個人の能力に依拠するような狭いものであるならば、それは科学(万人に共通の普遍的なもの)ではありません。
いつまでたっても個人的夢想(神秘思想、体験)で終わってしまいます。

(かといって、科学的に説明できないことと実在しないことは同じではありません。)

ブログをはじめて 半年近くが過ぎましたが、間接的に、フォノグラムの実在性をなんとか紹介する努力をしてきました。
フォノグラムを利用した楽器制作、東洋医学との関係、クラドニ図形との対比などを例に
その有効性、実在性を示してきたつもりです。

フォノグラムという現象は、既存の科学(物理学や音響学)の中に探すことができません。
しかし、似たような概念や、似たような数学的対象を探すことはできます。

あくまで”フォノグラムそのもの”を表現したものではないのですが、
既存の概念の中で類推を考えるのは、意味のあることですし、実際、どこが違うのかを示さなければ
なりません。

まだうまく説明することが出来ないのですが、今まで考えてきたことを、そのままの形で報告することはできます。

答えが合っているか 間違っているかではなく、そう考えたらどうなるか?
という視点で付き合っていただけたらと思います。

もしも わたしのようにフォノグラムが見えたとしたら 誰でもそう考えてみたくなる、というようなことを書いていきたいと思います。

まずは似ているものを探してみます

uzu na
(流体力学の支配方程式 ナビエ ストークス方程式の数値解の一つ)

dagostino_violin_scroll.jpg
(ヴァイオリンのネックロール ただの装飾のように考えられていますが
 実は フォノグラムラインでデザインされています。 意識的にか 無意識的にか 発案者に聞いてみないとわかりません。)


BSpiral1.jpg
(いわゆる 対数螺旋といわれているものです。オウムガイの殻の説明でよく出てくるものです。
 ナビエ ストークスの渦巻きも近似的にはこの対数螺旋と同じものです。)

092f2449d703cf28437a9529b4016d93.jpg
(円錐の頂点から 等距離に直線を降ろし、その直線群と常に等角度になるように線を結んでいく
 その線を上から射影して見た物は 対数螺旋になる)

ro_20111207231519.jpg

フォノグラムの渦巻きは対数螺旋に近いものだと解ります。
なぜそうなっているのかは しばらく置いておいて
「何と似ているか?」「どこが違うか?」を調べていきましょう。

なにせ 未知のものに向かうわけですから、初めから正解はありません。
次回からは フォノグラムの支配方程式(そんなものがあると仮定して)を
流体力学のナビエ ストークス方程式との類推で考えてみたいと思います。

フォノグラムは「一種の流れ」と考えたくなるのですが、、、、、、

つづく

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違和感の基準

「違和感」という言葉があります。

たいていなんとなく感じるもので
それ以上気にしません。

「違和感」を感じる以上、 そこには何らかの基準があるはずです。

その基準は人それぞれ違うものでしょうか?

たとえば、 焼き鳥屋のちょうちんが青いちょうちんだったら
すべての人が「違和感」を感じると思います。

これは学習によって後天的に学んだ結果なのでしょうか?
それとも先天的に、本能的にもって生まれた感覚なのでしょうか?

ある心理学の本によると、ちょうちんが赤いのは、食欲を刺激する
作用があるからだという説明がされていました。

本当のところ「違和感」の基準はどこにあるのでしょうか?

もう一つ例をあげます。
音楽をしている人なら、必ずやることの一つに
音階練習があります。
単純な繰り返しで、基礎的で面白くないと感じてしまうものです。

はじめ 意味もわからずにやっていましたが これの本当の意味は
「違和感」に対する鋭敏さを養うことにあるのです。
「音が外れた」という感覚は「音が外れていない」感覚があって初めてわかる感覚です。
この感覚が養われてくると 少しでも「音が外れると」不快に感じてしまいます。
そしてこの感覚が、演奏技術を上げる契機になるわけです。

この「音が外れる」という感覚も 何かの基準からの「違和感」です。
この音の協和 不協和という感覚は 物理学では説明できないようです。

「違和感」の基準はどこからやってくるのでしょうか?

少なくともはっきりとした基準が先にあるわけではないようです。
人生とは「違和感」の連続なのかもしれません。

そして「違和感」を通じて「基準」:「神」を捜し求めているのかもしれません。

というよりも、「無意識」からの遊離が「違和感」の正体でしょうか?


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(ロダン 考える人)