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縫禅 ~袈裟縫いに見るフォノグラム~

ブログを初めて2年ほど経ちます
その間、フォノグラムに強い関心を持たれた方で、わざわざ私のところまで足を運んでくださる方が幾人かおりました。
その中で、大変面白い視点でフォノグラムをとらえた方のお話をしたいと思います。
それは袈裟職人さんでした。
袈裟とは、お坊さんが身にまとう法衣のことですが、その形式は厳格に定められてものであり、ミシンは使わずにすべて手作業で行います。

*ミシンを使ったものもありますが、伝統工芸技術という観点からここでは手縫いによる袈裟だけを対象とします*
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わざわざ一枚の反物を細かく裁断し、再び、一枚の布につなぎ合わせていきます。
ちょっと無駄とも思えるこのような工程にこそ、袈裟縫いが禅の要素を含んでいることを垣間見ることができます。
袈裟縫いというものは裁断した布をまっすぐな線で折り合わせて、ひたすら同じ間隔で縫い上げていきます。
すべて手縫いです。
縫い目はすべて直線ですし、型も定まっているので単純作業の繰り返しに過ぎないと思うかもしれません。
ところがそうではないところに袈裟縫いの本質があります。
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(一直線上に並ぶ等間隔の縫い幅)


私は、音で楽器を削る方法:フォノグラム法を「削り禅;過去記事」と言っていますが、袈裟縫いがまさに「縫禅」であることをお話ししてみたいと思います。


よく私の作業を見ている方はこう言います。

「よくも一日中、休みなしで同じ作業を飽きずにすることができますね」

「何のために彫っているのですか?」

こんな感じの質問をよく受けました。
私はたいてい次のように答えていました。

「音を聴いて一定リズムで削っていくと入定して気持ちがよくなるからだ」

入定とは、心が静かに定まり、超集中状態になることです。法悦という言葉がふさわしいのではないかと思うような状態です。
つまり、ある作業に没頭すること自体が目的であり、何かを作るとか、いくら儲けるとかそういった知的な目的ではないということです。
ただ目の前のものごとに没頭することで、作業の跡(楽器、袈裟)が残ります。
以前、仏師さんとお話ししたときも、

「仏様に頂いた時間(没頭できた時間)を仏様(没頭することによって形になった仏像)にしてお返しする」

ということをおっしゃっていました。

そして、入定することができない人にとっては、一定リズムで行うこのような作業は
単純作業以外の何物でもなく長時間の苦痛でしかありません。

私のフォノグラムの技術も至極単純であり、誰でもできるはずなのですがなかなか会得できない理由の一つに
この「定に入る」ということができないことにあると思います。

袈裟職人さんも職人の育成に頭を抱えておられました。
禅の修行と一体になっていた袈裟縫いという伝統工法は、現代の資本主義体制に淘汰されてしまうのでしょうか?
これは、他の伝統工法の職人技にも同様に当てはまることだと思います。

丈夫で長持ちする本物の技術は、お金を回すことが第一目的の側からすれば邪魔でしかありません。
物を大切にする文化が失われ、大量消費の使い捨ての文化が当たり前になってしまいました。
職人が消えることは、禅が消えることであり、禅が消えるということは日本の精神文化(天地自然を愛でる精神性)が失われるということです。

そうなればフォノグラムの技術も、伝統工法同様、消え去ってしまうことでしょう。

フォノグラムの研究は、職人たちが普段感じている言葉にできない大事な何かを代弁するためのものでもあります。新しいカテゴリ、Artes arte(工芸の技法)において、フォノグラムというフィルターを通して、失われつつあるさまざまな伝統工芸を見直し、それにまつわる記事を掲載していきたいと思います。
次回は、袈裟縫いの技術が、いかに等音面を作るための技術に近いかということを記事にしたいと思います。
外から見たら単純に見える作業も、内的精神においては、非常に高度な情報処理をしていることを見ていきたいと思います。


つづく



*過去記事のインデックスです。 項目ごとに見やすくしてあります。*
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”真っ直ぐ”が難しい” ~袈裟縫いに見るフォノグラム(2)~

五条袈裟は五枚のピースを折り合わせたものです。
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また、その五枚の一枚一枚には、横号という袈裟特有の模様があり、そこにも縫い目があります。

ここで、たとえば、五枚のピースを一人の人間ではなく、複数人が分業して、後で一枚に縫い合わせたとします。

当然、糸の引っ張り方、縫い目のストロークの幅の微妙な違い、など、仕上がり具合が異なるピースが出来上がることになります。
また、一人で長時間、縫っている間に、身体が疲れてきて、同じように縫えなくなり、一人で縫っているにもかかわらず
異なる縫い目の仕上がりのピースが出来上がるかもしれません。
この仕上がりの異なる複数のピースを一つの袈裟として縫い合わせた時、統一感を欠いたただのパッチワークになってしまいます。
一流の袈裟職人は、この「部分と全体」の情報を瞬時に読み取りながら、
縫い方を微調整して、常に全体の仕上がりを意識して局部を縫っていくというとても難しい処理を無意識に行っています。

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これは、タッピングトーンという部分と全体の情報を利用して等音面を構成していく情報処理と同じです。

音の代わりに糸や布の引っ張り具合を等しくしていく「等(緊)張面」がよい袈裟ということができそうです。

等音面とは等緊張面といっても同じであるので、音は出ませんが袈裟も広義の等音面といっていいでしょう。
皮膚膜の張力を一定にするように施術していくという、フォノグラムを利用した整体技術も等緊張面を構成していく技術です。

ここで真っ直ぐに縫うことがいかに難しいかを考えてみましょう。

布の端から縫っていくわけですが、布の端と中央部では、微妙に条件が異なります。
また、号が重なり合うところは布が二重三重にもなっているので、生地の厚みが異なります。
そして、縫い合わせていけば布全体にかかる緊張状態が微妙に異なってきます。
これらを全て考慮に入れて、全体の仕上がりをいつもイメージしながら微調整して真っ直ぐなラインを作っていきます。

柔らかく、すぐに緊張度が変化する生地を相手に、真っ直ぐな縫い目を作っていくことの難しさがイメージできるでしょうか?



実は、このような”真っ直ぐ”という「等時、等速、等間隔の技術」は、あらゆる身体技法の基礎にあたるものです。



袈裟縫いというのは身体技法なのです。



たとえば、声楽家は発声練習において同じピッチで同じ発声を出し続ける練習をします。
これは、自分の体を同一の緊張状態に保ち続ける技術といっていいのですが、息を出し続けているので常に
身体内部の体積が変化し続けています。また、無駄な力が入っていればすぐに疲れ、声が揺れてしまいます。
ちなみに、「40秒以上、途切れず揺れずに歌い続けられないようではプロの声楽家にはなれない」そうです。

また、ヴァイオリンの運弓の技術で同じ音を極力長い間引くというロングトーンまたはソンフィーレという技術があります。
これも同じで、常に、楽器と弓の接触状態が異なっているのを計算したうえで、擦弦によって出された音が一定になるように身体の緊張度を微妙に変化させて調整します。

袈裟縫いの技術もこれと同じ身体技法を使います。

この「等時、等速、等間隔の身体技術」は、とてつもなくレベルの高い身体技法であることがあまり認知されていません。
これは、静止の技術でもあります。
静止というものができて初めて動きというものが理解できるのですが、現代人のほとんどは静止に価値を置きません。
動いていることに自己同一性を見出している人がほとんどです。しかし、動いているもの、変化しているものに実体はないのです。

等時、等速、等間隔の身体技術のエッセンスだけを取り出すと、座禅(静功)や単純なリズム運動(動功)になっていきます。

つづく


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